入管法改正について~問題点、廃案までの経過と今後~

第204回国会における政府提出の出入国管理及び難民認定法(以下、「入管法」といいます)改正案について、国会審理の結果、政府は提出を取り下げ事実上の廃案となりました。人権侵害のおそれが強いこと、収容施設での死亡事案の真相究明が不十分であることなど多くの点が指摘されたためです。

今回は、入管法改正について、廃案までの経過と今後の課題について書いてみたいと思います。

1.入管法の問題点と国連機関の指摘

我が国の入管収容については、「国際人権法に違反している」などと国連の人権理事会など各機関から幾度となく勧告を受け、大きな批判を浴びてきました。
そこで私からは、国会質疑において、国連からの勧告等に対する政府の対応や、日本も批准している国際人権規約(自由権規約)等に照らして、現行入管行政の問題点を指摘し政府の見解を質しました。

問題となっている大きなポイントは、以下の3点です。

  • 我が国の入管法では、退去強制手続の対象者はすべて収容する建前(全件収容主義)となっているところ、収容にあたっては収容の必要性、合理性、比例性を考慮すべき
  • 我が国の入管法では送還可能なときまで無期限に収容することができるようになっているところ、このような無期限収容は改めるべき
  • 我が国では収容の可否判断は行政機関である入管庁が行っているところ、収容に際しては司法審査を導入すべき

これらの点は、従来から国連の関係機関から改善を指摘されているもので、先進国の入管行政においてはいわばスタンダードとも言える内容です。

ただ残念ながら、当該問題点の指摘に対し、政府からの答弁は、「我が国の出入国管理制度は、入管法の定める適正な手続に基づき適切に運用されている」と繰り返すだけでした。また、国連の関係機関から問題として指摘が来ていることについては、「指摘に対し検討する法的義務はない」という答弁にとどまりました。

例えば私から「我が国の入管の制度自体が自由権規約に違反すると指摘されている」と問うたところ、「我が国の制度で適切に運用された収容は自由権規約に違反しない」と答弁されましたが、違反しないことの説明になっておらず全く説得力がありませんでした。

ところで政府は、こういった国連関係機関からの問題点の指摘に対しては、「即座の抗議」といった反応をしています。しかしながら、このような国連関係機関からの指摘に対しては、現状の説明を行った上で指摘事項についてディスカッションを行うなど真摯に応対するのが諸外国の通例です。対話をする姿勢を見せずに「即座の抗議」という対応では、当該機関に敵対的ともとられてしまい得策ではありません。なお、政府は過去に「(国連の関係機関との)建設的な対話を重視しており、今後も協力を続けていく」と国連で宣言しています。

2.時代遅れの法解釈

入管法に上記のような問題点がある背景には、外国人の人権に関する昭和53年10月4日最高裁大法廷判決(いわゆる「マクリーン判決」)という有名な判決の存在があります。

マクリーン判決は、外国人に対する憲法の基本的人権の保障は、「外国人在留制度の枠内で与えられているにすぎない」と述べています。これは、簡単に言ってしまえば、入管法の範囲内でしか外国人の人権は保障されず、その範囲を国会で自由に決められるということです。現在の政府と入管法は、外国人の人権について同判決の考え方に基づいているのです。

しかし、マクリーン判決は40年以上前の判決で、当時から批判の多いものでした。最近の在留特別許可や仮放免に関する裁判例では、このマクリーン判決に無批判に従うのではなく、事態の深刻さや個別のケースに応じ、平等原則や比例原則を考慮し行政裁量を縛る判断も多く出されています。

また、マクリーン判決は、「国際慣習法上、国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく、特別の条約がない限り、外国人を自国内に受け入れるかどうか、また、これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかを、当該国家が自由に決定することができる」とも述べています。

マクリーン判決が出された後、日本は自由権規約をはじめ、拷問等禁止条約、難民条約、子どもの権利条約など、多くの条約を批准してきました。マクリーン判決に依拠するとしても、同判決が言う「特別な条約」を日本も批准しているのであり、これらの条約を無視して、外国人の人権を入管法で自由に制限するような解釈はもはや時代遅れです。

マクリーン判決が出された当時は、国民国家という枠組みでの理解が主流でした。しかし、現在ではそれも変わってきています。例えば欧州では、欧州人権条約があり、欧州人権裁判所が活発に加盟国の人権問題について判断しています。国家の枠組みを超えて、人権保障が国際化しているのです。

このような動向から、私は、マクリーン判決は近い将来判例変更されると思っています。人権を擁護する立場である法務省・入管庁も、いつまでもマクリーン判決に固執しまたは無批判に従うのではなく、自ら人権に関する国際動向や裁判動向にも注意を払い、時代にあった法解釈をすべきです。

3.解明されない死亡事案

入管法改正への反対の声が更に大きくなった理由に、収容施設での死亡事案の真相究明が不十分であったことが挙げられます。

名古屋入管に収容されていたスリランカ人女性、ウィシュマ・サンダマリさんは、著しい体調の悪化を訴えていたにもかかわらず、治療らしい治療も受けられないままに亡くなりました。

入管庁の監督下で起きたいたましい死亡事案であり、本来であれば入管法の改正の議論の前提として、原因究明と再発防止策などの十分な対応が不可欠でした。

しかしながら、政府による調査の中間報告からは、重要な事実がいくつも抜け落ちており、実態の解明にはおぼつかないものでした。また、ウィシュマさんの収容中の様子を映したビデオを開示してもらい、収容の様子を確認するのが原因究明に資すると考えられたところ、政府は、「保安上の観点」などを理由に開示を認めませんでした。開示の対象や範囲を限定するなど方法は考えられますし、平成15年に名古屋刑務所での死亡事件でビデオが公開された例もありますので、単なる「保安上の観点」だけでは理由として不十分です。

4.政府による法案の取り下げ

以上のように、人権侵害のおそれが強いことや死亡事案の真相究明が不十分であることについて国会質疑で追及する中、与党議員の中にも、政府の姿勢を疑問視する方が増えたようにも感じました。

このころには、国会前にも多くの方々が座り込み、反対の声を上げておられました。コロナ対策で国会の窓は開け放たれており、反対する皆さんの声が議場に響いていました。

加えて、新聞やネットニュース、Twitterでも反対の声が大きく広がっていき、政府もこの広がりを無視できなくなり、与野党の幹事長会談の場で、入管法の取り下げが決定しました。取り下げの報を受けて、反対活動を続けていた方々からも大きな歓迎の声が上がっていたことを鮮明に記憶しています。

5.今後の入管法を巡る課題

入管法改正は見送りになりましたが、収容のあり方や難民認定率の低さなどの状況は変わっていません。法案を廃案としたことで満足し、現状の収容の問題点を放置するのでは本末転倒です。国際社会にも認められる入管行政にするためにどうすればよいのか、引き続き国内外の関係者と幅広く議論していくことが必要です。

また、入管における処遇の状況等を明らかにし、二度と悲しい事件が起こらないようにするためにも、ウィシュマさんのビデオ開示も引き続き求めていきたいと思います。

今回、法案の質疑に臨むにあたり、アムネスティ・インターナショナルや難民支援協会、移住連など支援団体の方々から大変貴重なご示唆をいただきました。当事者や、当事者に近い方々の「生の声」を聞くことの大切さをあらためて実感しました。ご協力いただいた方々に、深くお礼申し上げます。